先日来、老人の戯言みたいな話ばかりになってしまったので、前回からちょっとピアノの方に話持ってってます。
で、今日は何にしようかってことで(引き出しは無数にあるんですが)日本の名器、クロイツェルピアノの話(^^)/
おそらく何度も書いたかもしれませんが、、、当然?何書いたか覚えてないので、また同じこと言いよるわ、と思われてもご容赦を(*^^*)
当時の社長さんが親父と同じ浜松出身で、しかも同じ歳っていう事もあってか、まあ「馬が合った」んでしょうね。。。
親父は結構熱入れて売ってました、、、もちろん楽器自体とても良かったから惚れ込んでたってことなんですが。。
今でも時々中古で入庫しますが、独特のクロイツェルサウンド、私も好きです(^^♪
だから最近50年くらい前のピアノの修理の仕事も良く来ます、、、うちに入ってくるクロイツェルに関してはほとんど親父が販売したピアノですね(^^)/
ピアノ内部の「調律カード」に、親父のサイン、叔父のサイン、時に祖父のサインも見かけます(祖父も調律師でした)。。
話戻りますが前出の社長さん、、、私が子供の頃から月に一回、広島まで来られてました、たくさんピアノ売れてた時代ですからね、、まだもちろんメールや、FAXさえない、、でもそれって今でも商売の基本ですよね、、膝を交えて話する事(*^^*)
私も本当に可愛がってもらいました、、、私にもそんな時代があったんだ(‘ω’)
その社長さん、いわゆる「予科練上がり」で、もう少し戦争が長引いていたら特攻に行かれてたはずです。。
当時の事は多く語られませんでしたが、ある日私に、「同級生の半数は戦死しただに、、戦争は絶対しちゃいかんよ」としみじみ言われたのを覚えています。
戦後の日本のピアノ産業の発展に大きく寄与されたひとです。。。
ああまたピアノの話になりませんでしたね、、、ジイサンの思い出話になっちゃいました、、、ま、クロイツェルピアノ、◎ってことで(^_-)-☆